元カープの宇草孔基(うぐさ こうき)選手。
プロ野球選手になるまでは、どのような学生時代を送ってきたのか気になりますよね。
今回は、宇草孔基選手の学歴について、そしてその時代にどのような活躍をしてきたかを徹底的に調査し、まとめてみました。
宇草孔基の学歴まとめ【早見表】
宇草孔基選手の学歴を、表にまとめました。
| 分類 | 学校名 | 所在地 |
|---|---|---|
| 小学校 | 東京都向東向島の小学校 墨田リトルリーグ所属 | 東京都墨田区 |
| 中学校 | 向島中学校 墨田リトルシニア所属 | 東京都墨田区 |
| 高校 | 常総学院高等学校 | 茨城県土浦市 |
| 大学 | 法政大学 | 東京都千代田区 |
各時代ごとの宇草孔基選手の活躍をみてみましょう。
宇草孔基の小学校時代|墨田リトルリーグ

出身中学が向島中学校だとわかっているので、向島中学校の学区域を調べてきました。
宇草孔基選手が野球を始めたのは、町内の小さなお祭りがきっかけだったそうです。
トスバッティングのマシンのおもちゃが景品で当たり、それにハマったことから野球に興味を持ちだしたと言っていました。

宇草孔基選手は、その後近所の墨田リトルリーグに入団。
当時高校野球で活躍していた斎藤佑樹選手を見て、
宇草孔基甲子園に出たい!!
という夢を持ったんだそうです。


宇草孔基の中学校時代|向島中・墨田リトルシニア
向島中学校


| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 学校名 | 向島中学校 (むこうじま ちゅうがっこう) |
| 国公私立の別 | 公立学校 |
| 設置者 | 墨田区 |
| 設立日 | 1949年3月31日 |
| 閉校年月日 | 2013年3月31日 |
| 共学・別学 | 男女共学 |
| 所在地 | 〒131-0032 東京都墨田区東向島四丁目18番9号 |
墨田区立向島中学校は、2013年度をもって閉校し、墨田区立鐘淵中学校と統合。
新たに墨田区立桜堤中学校として開校しています。



母校はもうないんだね


宇草孔基選手は、中学校でも野球にのめり込みます。
部活ではなく、墨田リトルシニアというクラブチームで野球を続けていました。
小学校のころからの「甲子園出場」の夢を追い続ける宇草孔基選手に、両親は「続けることの大切さ」を説いたそうですよ。
その考えはしっかりと宇草孔基選手にも根付き、野球だけでなく勉強や習い事に対しても「コツコツ」「積み重ね」を大切にしてきたんだとか。



習い事って何してたんだろ?
実は宇草孔基選手は、ピアノを習っていたことがあるそうですよ。





意外~!
宇草孔基の高校時代|常総学院
常総学院高等学校


| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 学校名 | 常総学院高等学校 (じょうそうがくいん こうとうがっこう) |
| 国公私立の別 | 私立学校 |
| 設置者 | 学校法人常総学院 |
| 設立日 | 1905年10月1日 |
| 創立者 | 渡辺嘉重 |
| 共学・別学 | 男女共学 |
| 設置学科 | 普通科 |
| 所在地 | 〒300-0849 茨城県土浦市中村西根1010 |
宇草孔基選手は、甲子園出場の夢を叶えるために、高校から親元を離れて常総学院に入学することを決意したそうです。



寮暮らしだったのかな
しかし、入学直後は甲子園で活躍している先輩たちと、自分の実力とのギャップに驚いたと話していました。



とんでもないところにきちゃったな



上級生との実力差に唖然としていたそうだよ


当時、常総学院の野球部の責任者・佐々木力さんは、宇草孔基選手がいい選手になることを確信していたそうです。
もくもくと練習に取り組む姿を見て、その意欲・姿勢の高さに



ゆくゆくはキャプテンになると確信していた
将来が楽しみな選手だった
と話していました。
レギュラー獲得、キャプテン就任!
必死で練習に食らい付いた宇草孔基選手は、2年生の春には二塁でレギュラー獲得。
新チームになると、他の選手からの推薦でキャプテンに就任しました。


かつてのチームメイトからも頼れる選手だったことが語られていました。



宇草がなんとかしてくれるだろうと思っていた



チームメイトから信頼されていたんだね
ポジティブな気持ちで取り組みながらも、周りを巻き込んでいくリーダーシップを発揮するタイプだったようです。
ミス連発でキャプテン剝奪、3軍降格
宇草孔基選手は、キャプテンになった当初はその重責により肝心な場面でミスをするようになってしまいます。
地区予選で連敗、練習もストレスで胃痛になりながら参加していたんだとか。



プレッシャーを感じていたんだね
そんな様子を見た監督は、キャプテンをクビにします。
それどころか、宇草孔基選手は3軍に降格し、ベンチ入りも許されない状態に。
一軍復帰、甲子園出場を決める
レギュラーを外された後も、コツコツと努力を積み上げて一軍に復帰することができた宇草孔基選。
レギュラー復帰をチームメイトたちも大喜びしたんだそうです。
「自分たちで推薦したキャプテンだったのに、支えが足りなかったんじゃないか」
と言われたと話していました。



仲間たちにも恵まれていたんだね




その後一丸となったチームは秋の県大会で優勝し、甲子園出場を果たします。
宇草孔基の甲子園での活躍
宇草孔基選手は、2015年に第87回選抜高等学校野球大会(通称:甲子園)に出場。




俊足を生かして、大会最多記録に並ぶ1試合5盗塁。
準々決勝では先頭打者ホームランを放ち、ベスト8進出に貢献しました。
そのことが評価され、「2015 WBSC U-18ワールドカップ」に出場するU-18代表に選出されることに。
宇草孔基の甲子園の記録
- 打率.308
- 1本塁打
- 2打点
- 8盗塁
宇草孔基選手が「プロ野球選手」を目指すようになったのは、この頃だと言っていました。
宇草孔基の大学時代|法政大学


法政大学


| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 学校名 | 法政大学 (ほうせいだいがく) |
| 国公私立の別 | 私立 |
| 設置者 | 学校法人法政大学 |
| 大学設置 | 1920年 |
| 創立 | 1880年 |
| 所在地 | 東京都千代田区富士見二丁目17号1番 |
- 山本浩二(やまもと こうじ)
- 小早川毅彦(こばやかわ たけひこ)
- 廣瀬純(ひろせ じゅん)






当時の法政大学の野球部監督・青木久典さんは、



プロに行ける資質は十分にある
足の速さ・バッティングも期待できる
と、宇草孔基選手を高く評価をしていました。
最大の武器は足の速さ


宇草孔基選手の最大の武器は、足の速さでした。
50m走は6秒0。
1試合5盗塁という甲子園最多記録の持ち主であることから、俊足を生かしてチームの得点源を作ることを期待されていたんですね。
しかし、その足の速さを活かそうとする気持ちが大きくなりすぎて、バッティングに乱れが生じることとなります。
法政大学に入学してから3年生の春までの安打数は、わずか2安打。



プロを目指すには少なすぎるね…
宇草孔基選手は、ベンチ入りもできない日々が続いたんだそうです。


しかし、やっとつかんだスタメンのチャンス、初スイングでホームラン。
それまで俊足を生かすフォームで試合に臨んでいましたが、



バッティングフォームを変えよう
という監督の言葉に、フォームを変え、ひたすらバッティング練習を続けたそうです。
ここでも両親からの教え「継続の大切さ」が活きていたのですね。
俊足巧打の選手に成長


宇草孔基選手は、大学3年の秋のリーグ戦で開幕戦でスタメンに選ばれると、3試合で六安打という結果を残します。
その後は全試合でトップバッターを任されることに。



バッティングでも高評価をされていたんだね
秋のリーグ戦では法政大学は優勝。
4年生の春にはベストナインに選出されました。
その後の進路はプロ一本、ドラフトで指名がなければ大学に残り、留年してでも就職することを決意します。


宇草孔基選手は、2019年の10月17日に行われたドラフト会議で、広島東洋カープから2位指名で入団することになります。
宇草孔基のプロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 宇草孔基 (うぐさ こうき) |
| 生年月日 | 1997年4月17日 |
| 出身地 | 東京都墨田区 |
| 身長 | 185 cm |
| 体重 | 84 kg |
| ポジション | 外野手・右投左打 |
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まとめ
今回は、宇草孔基選手の学歴について、そしてその時代にどのような活躍をしてきたかを徹底的に調査し、まとめてきました。
| 分類 | 学校名 | 所在地 |
|---|---|---|
| 小学校 | 東京都向東向島の小学校 墨田リトルリーグ所属 | 東京都墨田区 |
| 中学校 | 向島中学校 墨田リトルシニア所属 | 東京都墨田区 |
| 高校 | 常総学院高等学校 | 茨城県土浦市 |
| 大学 | 法政大学 | 東京都千代田区 |
小さい頃に抱いた夢を、コツコツと努力しながら追い続けてきた宇草孔基選手。
名門の高校・大学でプレーできたのは、日々のたゆまぬ練習のおかげだったのですね。
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